A Sky Blue Diary~想いをかたちに~

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【自分中心心理学】選択の責任

みなさん、こんにちは。みっくんです。

 

今日の佐賀は、晴れています。

 

澄んだ空気が爽やかな朝を演出します。

 

寒かった冬も終わり、

春もすっかり馴染んでいます。

 

もう少しで、ゴールデンウィークですね。

 

みなさんは、どこか行く予定がありますか。

 

僕は、特にゴールデンウィークだからと言って、

特別、行く予定があるわけではありません。

 

行楽日和になるといいですね。

 

今日は、自分中心心理学の考え方、

選択の責任について、

考えてみたいと思います。

 

選択の責任とは、

今、起こっていることは、

誰が選択したことで、

最終的な責任は、

誰が負うのかを見極めるものです。

 

これができるようになると

人間関係における

日常の煩わしいことの大半が

減ることになります。

 

ぜひ、目を通してみてください。

 

例題を石原加受子さん

「人生を楽に生きるための本」より、

引用します。

 

P101

《例題》

例えば、「母親が厚化粧をしているので、

私は恥ずかしい」という場合、

どういう考え方をしたらいいのでしょうか。

厚化粧をしているのはだれが選択したのですか。

母親ですね。

あなたはそれを恥ずかしいと思っていますが、

厚化粧で「恥をかくかどうか」は母親であって、

あなたが恥をかくものではありません。

母親が厚化粧をしたことで、

あなたが具体的に被害をこうむいるものがありますか。

母親の厚化粧を恥ずかしく思うのはあなたの勝手ですが、

あなたは母親によって

具体的な被害をこうむっているわけではありません。 

あなたの母親は厚化粧が好きなのです。

それをあなたが支配してそれを止めさせることはできません。

あなたに被害がこうむることでないものは、

相手の選択を尊重して欲しいのです。

 

いかがだったでしょうか。

 

具体的に被害を被ること以外は、

相手のした選択を尊重するという考え方です。

 

もう1つ、例を出します。

 

 P101

「母親は私に期待をかけているが、

期待に応えられたい自分が辛い」という場合。

母親が、あなたに期待をかけるのは、いわば母親の勝手です。

あなたがその期待に応えようと努力するのはあなたの選択ですが、

その期待に対してあなたがプレッシャーを感じたり、

期待に応えられたい自分に責任を感じたりするのは適切ではありません。

期待したり心配したりするのは、母親の勝手な思いであって、

母親は期待したり心配したりすることを選択していますが、

本来、それはあなたの選択とは関係のないことです。

母親の期待通りにならないあなたがいても、

それに対する失望などといった感情は、母親が処理すべきもので、

それに関しては、あなたが責任をとるべきことではありません。

そんな母親の期待に「応えなければならない」

「とても応えられそうにない」などと悩んで、

母親の思いや感情にまであなたが責任を感じる必要はないのです。

 

このように、

「それを選択しているのは誰か」を分けて、

考えていくと、

自分がとても楽になります。

 

相手の選択したことに、

あなたが責任を感じる必要は、

ないということです。

 

誰がその選択をして、

その責任を引き受けるのかを明確にしていると、

人のことに干渉したり、余計なことで口出しして、

お節介を焼かなく済むようになるようです。

 

人によっては、冷たく感じるかもしれませんが、

これを見極めると、相手のことで悩む分量が

格段に減ります。

 

もちろん、具体的な被害を被ったときは、

相手に働きかけて行く必要性は、

出てくると思います。

 

この考え方を取り入れるかどうかは、

もちろん、みなさんの自由です。

 

もしよかったら、取り入れてみてください。

 

今日は、この選択の責任という捉え方を

お伝えしたくて、記事にしました。

 

この記事がみなさんのお役に立てば、幸いです。

 

以上、【自分中心心理学】選択の責任でした。

 

続きがあります。

 

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