みなさん、こんにちは。みっくんです。
最近は、石原先生のブログの紹介記事が
増えています。
たまには、雑感も書きたいのですが、
そうそう、出来事もないので、
紹介記事を掲載することにしています。
今日は、以下の記事を紹介したいと思います。
2回に渡って、紹介したいと思います。
ご覧になってください。
相手を分析しても意味がない? 1
セミナーで、ロールプレー(役割演技)をするとき、
「私がセリフを言っているとき、どんな気持ちで言っているのか。
相手が話をしているとき、その言葉が、自分の心にどんなふうに感じるか。
これがポイントです」と、留意点を言います。
それでも中には、「私がどう感じるか」ではなくて、相手はどんな性格なのか、
相手はどんな気持ちになっているのか。
「こんな性格では、人との折り合いが悪くなるばかりですね」
などと、相手の人物像を語りはじめる人がいます。
もちろん、そんな分析を目標とするロールプレーもあるでしょうから、
分析してはいけない、と言っているわけではありません。
ただ、相手を分析しようとしても、たいていは、無駄です。
しかも「他者中心」の意識では、いっそう意味がありません。
というのは、どんなに相手を分析しようとしても、
1)自分の心には、さまざまなフィルターがかかっています。
そのフィルターを通して相手を見るわけですから、
所詮、「自分のフィルターを通して見た相手」でしかありません。
2)相手と私とは、常に言っていることですが、「関係性」で成り立っています。
自分の眼からは相手が悪いというふうに映っても、
それは飽くまでも「自分の眼から」ということです。
このとき、“私自身”が相手に対して、どういう態度、表情、口調で言っているかは、
加味されていません。
その状況が起こっているのは、
相手のせい(あるいは、相手のおかげ)だけではなくて、
私のせい(私のおかげ)でもあるのです。
つまり、その状況が起こるのは、決して、
相手に因るものだけではないということなのです。
3)さらにまた、相手に対する自分の分析が、仮に正確だったとしても、
それで解決することはできません。
相手が怒りやすいとわかりました。
相手は、自分にとって都合の悪いことを言われると、すぐに怒りだすようです。
「では、そんな相手に、どうしますか?」と聞かれたら、もうそこで、
“どうにかして、相手を変えよう”という発想になるのではないでしょうか。
もちろん、相手をどうにかしようとしたとき、相手が抵抗すれば、争いになります。
争いにならないためには、相手より力で勝るか、
相手より頭で優るかということになるでしょう。
ここで、「支配」が生まれ「コントロール」が生まれます。
そうやって「支配。コントロール」しようとするために、争いが起こるのです。
しかも、自分のフィルターそのものがゆがんでいる。
自分が相手とどう関わっているのかにも気づいていない。
そんな状態で、自分が正しいとばかりに、
相手を支配したりコントロールしようとすれば、
いっそう、争いは激化していくでしょう。 (つづく)
いかがだったでしょうか。
相手を分析しても
その先どうするの?という話ですね。
相手を分析しない人は、いいですが、
僕は、やりがちです。
昔、石原先生に言われたことがあります。
分析している時は、自分が怒っている時。
それに気づいてからは、
相手のことを分析する時間が
減ったように思います。
相手がどうかよりも、まず、
自分がどう感じているのか、
どういう思いを抱いているのかが、
大事なのではないでしょうか。
そうすれば、その後の対処法も
見つかると思います。
相手を分析して、相手よりも優位に立つことを
目標にするのか、それとも、
自分がどう感じるかを優先して、
どう接するかを決めるのか。
これだけで、争いから、身を遠ざけることが
できるのではないかと思います。
この記事は、続きがありますので、
是非、ご覧ください。
以上、【自分中心心理学】
相手を分析しても意味がない? 1
~石原加受子の光と波のきろくより~でした。
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